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亘理伊達家が北海道へ移住後、残留の家臣の有志が初代 成実の遺徳を偲び後世に伝えようと、郡内挙げて明治12年に建立して祭神の神号を「武早智雄命」として奉った。 |
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別名「亘理招魂社」、「おだて」とも。旧社格は村社で、戦前は旧亘理町から神饌幣帛料が供進された。 |
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亘理地区の基礎を築いたのは伊達成実の統治以降といわれている。戊辰戦争後、亘理伊達家主従が北海道の伊達市に移住したのち、亘理地区に残ったかつての領民達が、亘理伊達家の徳治と先祖伊達成実の顕彰を目的に、亘理郡内挙げての賛成を得て、亘理神社建設を1878年(明治11年)9月に宮城県に申請し、翌1879年(明治12年)6月に許可された。そこで亘理伊達家の居住地であった亘理要害跡にお社を建設し、伊達成実を武早智雄命として祭った。 |
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亘理要害(御館)内堀跡
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明治12年には、臥牛城跡に伊達成実を祭神として、亘理神社が建てられ、それと同時に成実の功績を記した亘理神社の碑も立てられました。
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